本の電子化 雑感4 編集者について
さて、今日は電子書籍時代の編集者について、のようなもの。
昨日、これからは編集の時代だと思うと書きましたが、じつはこの編集という言葉はとても曖昧なものです。なぜなら、電子書籍時代に紙媒体の「編集」に特化した業種がそのままフィットするとは思えないからです。
ちなみに私、AllAboutで「パソコン」や「フリーウェア・シェアウェア」のガイドをさせていただいていますが(宣伝宣伝。)、もちろんここにも編集さんがいます。AllAboutでは編集にプロデューサーという肩書きがついていますが、まさしくその通りの働きをしています。
私の知る限りでは文章の構成をするなんてのは仕事のごく一部で、「利益」という概念を絡めてページビューを見ながら戦略を立てたりしています。最近では記事案も向こうから出て来ますし。否定するかもだけど、予算のノルマがあるんだと思います。また、ページ全体のレイアウトを調整したり、他の文章と関連づけをするなどディレクターとプロデューサーをごっちゃにしたような仕事っぷりです。
じつは最近、紙媒体の編集さんとも話をしているのですが、基本的にはやってることは一緒。
そう考えると、一次情報を文章という形で揃えれば、あとは編集作業で「本」ができていきます。文章はあくまで素材で、その素材を生かすも殺すも編集という「料理人」の腕次第、というわけです。
AllAboutではガイドってのはライターというより情報提供者に近いような気がします。編集さんの意図する情報についてアイデアを形にまとめ、ほぼ完成された素材として提供する。それを編集が味付けし、世に送り出す。編集の力量が上がれば文章としての完成度は求められず、情報の正確さのみが必要となるでしょう。そして文章を加工する「技術」は、「ライター」は「編集」という本職には敵わないと思うのです。
ちなみに編集を必要としない文章を紡ぎ出すライターもいますが、そういう人はつまり編集センスも併せ持っている。自身の情報を上手に「編集」し、文章にするセンスがすぐれてるんだと思います。これが最初に書いた「編集」という概念の曖昧さに繋がっています。編集が文章作成に対して何処まで手を下すのかすごく曖昧になってますし、逆もまた然りなので。
こんな体験談を元にすると、編集という技術は今後モノ書きを生業にするために必要な事で、編集の重要度は高まると考えたわけです。
そして出版の敷居は電子化することによって飛躍的に下がり、「誰が書いたか」「何処の出版か」ではなく「誰が編集をしたか」で売れる時代が来ると思うのです。なので編集を生業にしている人は電子書籍に手を突っ込むべきだと思うんですよね。目の前に金脈が転がってるわけですから。
そろそろあきてきたので電子書籍については今日でおしまい(の予定)です。