考えない人たち。
どうやら自分は、知ることができる人が、目に見えないもの、理解しにくいものを「悪」もしくはそれに準ずるような表現をするとイラッとするらしい。
インターネット全盛の時代、「ちょっと」調べて、人の欲望(一番わかりやすい例がお金の流れ)や自分自身の偏見によるフィルター(他人の言葉にこのフィルターがかかるのは標準仕様です)を加味して「考えれば」たいていのことが見えてくる。
右や左、前後上下の対立軸も、結局は意見の対立や利害関係、そして偏見というフィルターによって差異が生み出された結果なのであって、絶対善も絶対悪も存在しないのがこの世の理の中、「私はこう思う」ってことでしかない。
で。
もちろんそんな時代に見えないもの、隠されているものがあれば、それはそこに何かあるわけで、確認すればいい。でも、それを「悪」と単純に考える平和脳な方々がとても多いと思うのです。多様性って言葉、理解してる?
そんなことを、満員電車で小突かれたり、足を踏まれたり、肩にスマホを載せられたり、舌打ちされたり、駅で進まない行列で背中を押されるたびに思うのです。振り向いただけで怯えた顔しないでください。笑ってるじゃないですか、自分。
(#`w´)イヒヒ
今日はそんな笑顔で。