pc4beginnerの日記 はてなブログ版

はてなダイアリーで書いていたブログの移行です。

著作権と「ありがとう」の流通の関係。

今日はちょっと変なタイトルでtwitterからひとつまみ。


著作権問題と関係あるような無いような話ですが、私はブックオフで本を買っても著者や出版社にコストは還元されるべきだと考えています。情報の価値は、車や楽器などのハードとは違い中古になっても毀損されません。もちろん時間の経過による価値の毀損はありますが、ハードのそれとは比較になりません。


興味のある本をすべて新書で買えるほどの財力を残念ながら私は持っていません。しかし著者やそれを世に送り出した出版社には敬意を表したいのです。それにはお布施を払うのも一つの方法です。それが著作権料というものなのではないのでしょうか。


少し話は変わりますが、流通とは様々なものを右から左に流していく事を指します。そこに敬意や尊敬というものを含めにくいのがインターネットが普及後した現代の問題と感じています。直販や野菜の路地販売が地味に勢力を伸ばしているのは、そこに敬意や尊敬を流通させることが可能だからではないでしょうか。対面で「ありがとう」の一言も添えられますから。


もちろんインターネットでもありがとうと伝えることは出来ます。しかし敬意や尊敬を流通させることを知らない人は、対面で相手の顔を見なければこの台詞の意味が理解できないと考えるのはおかしな話でしょうか。


「ありがとう」に興味の無い営業は、この言葉を言われる商売(仕事)をしていないような気がします。私は対面で技術を提供するサービス業出身で、両親も同業だったため身の回りには常に対価とともに「ありがとう」が流通していました。だから仕事でも常にこれを意識しています。


「ありがとう」を言われるような商売(仕事)とはどういうものなのか。突き詰めて考えていくと商売(仕事)とは何たるか?という本質に突き当たります。これを見落として商売をする、もしくは途中で見失うと商売が破たんしていくように見えます。「お客様は神様だ」なんて私はこれっぽっちも思いませんが、お客様と「ありがとう」と言い合える関係を築くことはとても重要だと思うのです。


自分が受け取った対価に「ありがとう」が含まれている事を、私もたまに見失っています。しかし「ありがとう」と言われるたびにこれを思い出すことができます。だからこそ、商売(仕事)をするうえで「ありがとう」と言ってもらうことは重要なのです。


そのためには、自分が対価を払うときにできる限り「ありがとう」と言えるものを買ったほうがいいです。それが言えるものを買うときには、「ありがとう」を言ってもらえる何かがそこにあったのですから。


で、ぐるりと元に戻ってきて、書籍を手に取ったとき、私はその本を世に送り出した出版社や著者に「ありがとう」と感謝します。しかしその「ありがとう」は中古本では出版社や著者に還元されていきません。これがどういう事なのか、これだけ説明すればわかるでしょ?というお話でした。


今日はそんな真面目な感じです。