pc4beginnerの日記 はてなブログ版

はてなダイアリーで書いていたブログの移行です。

自分の視点は常にマルチアングルになっているか確認しよう

今日は書きためてあった文章(というかtwitterで呟いてた内容を纏めたもの)でおサボりエントリ。2週間ぐらい前、カフェで雨を眺めながらつらつらと書いた文章です。

雨を眺めながら、カフェで考え事ってのは贅沢な時間だ。


なんて、書き出しの1文は全く無視して話は進みます。


既存マスコミの報道は1次情報。twitterのタイムラインは0次情報。速度の差と、情報の精度を考えるとこんな感じ。しかしどちらも様々な「主観」と「立場」でフィルタがかかるので、情報としてこれだけを鵜呑みにはできない。

時にはググったり、識者から意見を聞くことで正しい情報が「何となく」見えてくる。しかしその輪郭をどれだけはっきりさせるかは、情報の精査の技術をどれでけ身につけているかで大きく変わる。この技術は経験が大きくものを言うけど、もっと重要なことがある。それは「疑うこと」。

「疑え」というのは上杉隆さんが良く言うけど、一つの情報でその事象を全て表せることなんてあり得ないと思う。様々なモノの見方があり、様々な考えがあり、それが社会を形作っている。前後左右上下からその事象を見なければ、正しい情報は得られないと思っている。

ただしそんな風にバランスよく情報を見ている人でも、情報を発信するときには前後左右上下のいずれかの位置から情報を発信する。その真ん中で情報を発信したら、正しい情報を発信できないはず。というか、そもそもその真ん中は自分自身の「主観」というものでいずれかの方向にあるものだし。

まず自分を疑う。自分の言葉を疑う。そうすれば自分の言葉を調べる。調べることで裏が取れ、自信を持って情報が発信できる。これを意図的に行えば発信できる情報の精度を常に自分自身で確認ができる。自身の立ち位置も見えてくる。すると人と議論をするとき、言葉がぶれなくなってくる。

主観だけで情報を捉え、自分の言葉に裏を取っていない人の言葉は何かしらほつれが出てくる。そこを論破される。裏を取っていれば、立ち位置をはっきりさせた上で「多様性」のある言葉として受け入れられる。同じ事をしている人との議論なら、互いが別の立ち位置、主観から見た情報を共有できる。

もちろん自分自身がこれを完全にできているわけではない。だから先輩や同僚に教えを請うことができるし、それをしない後輩に諭す事もできる。教えられ、教えて自分が完成していく。いずれも欠けたらダメだ。特に後者をしない人は耳年増になるだけで、これを身につける事はできない、と思う。

なんて金曜日に話していたのを思い出して赤面する日曜の昼下がり。さ、作業に戻る。