pc4beginnerの日記 はてなブログ版

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正しいという事 改訂版

仕事で何を持って「正しい」と定義するか小一時間悩んだ。「正しい」の定義って、慣例と関係者の「合意」との妥協点だって気が付かされた。で、自分が正しいと思っていることが正しい事になるかどうかは交渉次第。納得してもらえなかったら「正しい」事にはならない。

情報は両面から見て始めて真相が「垣間見る」事が出来る。片面からの情報は片手落ちどころか、間違える危険が高まる。常に両面から見て、自分の中の情報を更新し続けないと変わり続ける「真実」を見失うことになる。

情報を両面から見る時、片面はたいていの場合「嫌いなタイプの人間」からもたらされる。だから人の好き嫌いで付き合いを狭めてしまうと情報の確度が落ちてしまう。つまり嫌いなタイプで、かつ自分と会話してくれる人間はとても貴重だと言える。

そんな事を昨日会社に戻って先輩と話し、twitterのTLを見ていて強く感じた。大きく前に進む時にはこれを徹底するのは難しいけど、こんなご時世だからこそバランスの取れた思考が出来るようにしておきたい。どこかに傾倒してバランス崩すのは簡単なのだから。


追記。


「正しい」を定義する際、「間違ってる」も併せて定義される。自分の中の「正しい」がその「間違ってる」を回避できていれば交渉はまとまる。その「間違ってる」についても慣例に沿っているかと、想定される問題の量とで妥協点を探る。


つまり「正しい」という事は一人では産みだせない、と言うことだ。ただし後で「正しかった」と言われることは一人で産み出せるかもしれない。どちらを求めるかで、進め方は全く違ってくる。

理想は「正しい」と言わせ、「正しかった」と言ってもらうこと。今日もそんな合意をいくつか取ってしまったので、「正しかった」と言われるよう精進せねばならないと思う。

そんな事を考えながら読むと、「正しい」の定義を考えさせられるのが以下のエントリ。感情的になるでもなく、自身の意見をむやみに押し通すでもなく、読者に考えさせる文章に感心。

マードック帝国の激震 ④ -盗聴事件を通して見える、パワーエリートたちの傲慢さ - 小林恭子の英国メディア