カネじゃなくて、対価を払おうという話。
「金払え」ではなくて「対価を払え」でないと正しくないんじゃないかと。
プロにタダで教えてくれという平然と言ってしまう人たち
http://kasakoblog.exblog.jp/23273944/
(ブロガーかさこの「好きを仕事に」)
「え〜なんで教えてくれないの!ちょっとだけなのに!
なんかこの人、ケチ!」
みたいな悪意のない無邪気な人の方がたちが悪いというのはこのためだ。
こういうバカが下手をするとネットなんかで、
「あの人はケチで何も教えてくれない」とか、
「すぐお金お金っていう」とか言い出すのだ。
その通りなんですが、お金も払わずに教えを乞い、そして教えてもらう人も実はいるわけです。
そういう人は、「対価」を払っています。
例えば、有名人。
彼らは相手に対して「有名人に教えた」という対価を提供しています。この対価は教えた人に対して様々な価値を生み出します。
また、新聞や雑誌の記者。
お金という対価を支払う場合もありますが、それはその人や組織、肩書きが世間一般に通用するものだったり、特殊な技術で対価を払わないと教えを超えない場合になります。そうでない微妙なラインの場合、「メディアに名前を出す」という対価で教えを乞う場合があります。
あと、やる気のある人。
「可能性」という対価を元に教えを乞う人もいます。ただし、この場合は教える人に気に入られ、かつ、「情報乞食」と判断されない必要があります。
さらに、自分が持つ「情報」を対価にして相手の「情報」を教えてもらう人もいます。実は私が教えを乞う時、結構な頻度でこれを使います。
お金を払わないけど、対価を払ってるでしょ?
ちなみにこういうお金以外の対価で教えを乞える人の特徴は、無理強いをしないことです。そして価値を見出したり、次の話が出てきたときには対価として「お金」を動かす必要があることを理解している場合がほとんどです。
引用記事のいってることは正しいじゃんか!と言われそうですが、お金を対価として払わないままの場合だってあるので、やっぱり正しくないと思うのです。
お金って、対価を支払う一つの道具でしかないですからね。
今日はそんな感じで。