正社員は安泰という幻想について。
久々のブログはツイッターのひとつまみ。
結構前から、正社員雇用を守れor増やせとか、派遣法は悪だという世間の言葉に違和感を抱いています。ちなみに私は親族に正社員というものが殆どいない職人と商売人の家系に育ち、自分自身も立場は正社員ですが雇用形態は正社員とはかけ離れていることを前置きしておきます。
さて。
派遣法についてですが、よく悪法のように言われます。しかし、そのおかげで自分の望むように働けている人がいることを忘れないで欲しいのです。そういう人は前回の法改正のおかげで雇用環境が変わり、困ったと聞いています。
「そんな非実在人物の話を持ち出すな」
という疑り深い人は、その人を紹介しますのでご連絡ください。但し会った後については保証しませんし、会う価値がないと思われたら会ってももらえないでしょうけど。
そして私自身は正社員という立場ですが、労働形態は実は派遣と変わらず、仕事が無くなれば労働環境は限りなく悪化していく立場にいます。仕事の有無は景気と仕事の流行、そして技術力と営業にかかっています。かなり緩やかな自営業に近いです。
ただ、それに対してあまり不満はありません。昔から「職人」はそうやって派遣のように働いていて、IT土方を生業にしている自分は「なんちゃって職人」でもあるのでこういう労働環境に違和感がありません。
そして、職人は人のつながりと自分の腕磨きを怠れば職を失うのでこれもまた違和感がありません。特に総合職と言われる、正社員の中でも会社の言いなりの仕事しかできない人に哀れみすら感じています。
会社の言いなりになって働かなければならず、つぶしのきく職を身に着けられないと、会社が潰れれば路頭に迷う可能性が高いわけです。そう考えると果たして正社員という立場はそんなに良いものでしょうか。もちろん、条件によってはそれがいい人もいます。しかしそれも、会社が潰れない前提ではないでしょうか。
あのパナソニックすら会社存亡が危ぶまれる事態に陥り、トヨタだって新興国の状況次第では会社が傾いたっておかしくない時代です。会社を出る、ではなく、会社が無くなる事態に備えが必要な時代なのです。
そろそろ高度経済成長時代の正社員信奉は捨てなければいけないと思います。但しその制度が無くなれば、今、会社を支えている総務や庶務をやってくれる、社畜と呼ばれる優秀な社員は激減するでしょう。なぜなら正社員だったという肩書きは、役職や行ってきた仕事を伴って初めて力となるのですから。アルバイトや派遣では社畜の方々ほどの働きは期待できません。雇用形態が違いますから。
派遣だから危ない、正社員だから将来は安泰、というのは、会社が安泰だった時代の幻ではないでしょうか。今は個人の能力と、個人的なつながりが中長期的な雇用を生み出す力となると思います。これは派遣でだろうと正社員だろうと一緒ではないでしょうか。特殊技能のある派遣労働者は仕事に引っ張りだこでしょうし、それが正社員であっても会社が潰れたときに人の繋がりとその人自身の技術力で引っ張ってもらえるでしょう。そんなものは昔からあった筈ですが、転職サービス業がそんな当たり前のことを忘れさせているような気がします。
フラフラと仕事をしている自分を見て理解が出来ないという親に、里帰りする度に説明するのですが、なかなか納得してもらえないところに今の社会のありようを感じます。
最近は希にやってくるメディア出演依頼のおかげか、ぼんやりと説いていたことが「感じられる」用になってきたみたいですが。メディアの力って偉大です。雑誌やテレビに出ることで認めてもらえるというのがまた前世代的な香りもしますが。
昔は目の前の仕事を黙々とやっていれば安泰だった(らしい)。今は目の前の仕事が将来を担保してくれるか考えなければいけない時代(だと思う)。目に見えることをすべて疑え、というのはメディアへの見かたで使われる言葉ですが、生きること全てこれではないかと思います。永遠のなぜなぜ坊やにならないと。
答えは出ないけど、考え続ける。自分の足跡を振り返り、歩みをどこに向ければ良いのかを自分で決断する。そんな当たり前のことが失われているのか、それともこんな考えは当たり前では無いのか。世間の常識だけではなく、自分の常識も疑う。そのうえで信じる常識を軸とする。
ずっと迷い続けながら、それでも前に歩んでいくのが今の時代に「生き残る」保険だと思うのです。どっかのちきりんさんが考えろと言い続けてますが、それすら疑わなければいけないのです。あれはあくまでもちきりんさんの世界の中での話なのですから。
なんて、ひとつまみと言いながら大幅加筆な感じで。