pc4beginnerの日記 はてなブログ版

はてなダイアリーで書いていたブログの移行です。

そのセミナー、綾小路きみまろの漫談と何が違いますか?

最初にお断りしておきますが、これはセミナーを否定するエントリじゃありません。むしろセミナーに一回も参加したことがない人は、一度ぐらい参加してみては如何?とお奨めしておきます。


さて。


私はセミナーを自身のキャリアパスのために受けるのなら、受け手から発信側に移動するまでのキャリアパスを描いてから受ける方が良いと考えています。もしそうでないなら、それはただの娯楽でしかないだろうと。セミナーに参加するためのコストを考えるとその人の著作物を読んだ方がよほど効率が良い。せいぜい学ぶとすればその人達の情報伝達力ですが、それもセミナーで利用されるテクニックである

・感動させる
・納得させる
・気持ちよくさせる


の仕組みはテンプレート化されています。それが学べたら、次のステップ、つまり「教える方」に進むべきでしょう。セミナーに参加して気持ちよくなるだけなら、表題のように漫談を聞いているのと違いがありません※きみまろの漫談のほうがもっと笑えるし、役に立つことは沢山ちりばめられていますのでそちらのほうが私には魅力的です。


ただし、いきなり教える方に進むのはハードルが高いので、前段としてセミナーを開催できるような人を師と仰ぎ、ダイレクトに繋がる事をお奨めします。それだけの力を持っている人は、セミナーでは教えられない(教えない、ではない)「本当のノウハウ」を必ず持っています。もしダイレクトに繋がり、師と仰げるようになればセミナーなど不要になっていることでしょう。本人との会話で必要なエッセンスは吸収できるのですから。これこそがセミナーで伝えようとしていることなのです。


ちなみに師と仰ぐ人とダイレクトに繋がるためには、自分の価値となる「コンテンツ」を磨く事が必要だと考えています。師の引き出しに無い練り上げたコンテンツを持っていれば、師はその価値を認め話を聞くために仲間に引き入れてくれることでしょう。つまり師と繋がるためには、まずは自身のコンテンツを磨く事が必要ではないでしょうか。


ちなみに、世の中には自分がコンテンツを持っていないという人が居ます。しかし私は誰もがコンテンツとなる「個性」を持っていると思います。三十数年生きてきましたが、今の所ノーコンテンツだった人はいませんでした。ただし、それを形に出来ていない人がこのように考え、悩んでいるのには何度も直面しました。そのたびにこの考えを伝えています。


たとえば「無個性」や「無趣味」も個性です。何故そうなるのかを突き詰めて言葉に出来れば、立派な「コンテンツ」となります。まずは自身を言葉にする。これが重要と考えています。


ちなみに、磨き、練り上げたオリジナルのコンテンツを持つ人はぶれません。自身の思考を明文化し、推敲することで強固な「土台」にしているからです。セミナーを開催する人が本やHP、ブログなど何かしらの情報発信の場を持っているのはそういうことでは無いかと思います。


ただし、重要なのは根を張った位置の確認。師を持つ必要性はここにあります。


師は先人の知恵と自身の位置から、自分に対して言葉を発してくれます。その言葉を理解し、師の立ち位置と自身の立ち位置の差異を確認する。それを多くの人と繰り返す事で立ち位置が明確になります。すると発信する言葉を考えられるようになっていきます。


立ち位置が違えば、言葉が変わる事に気が付きます。つまり、師と仰げる人は数多く持った方が良いということになります。もちろんその中でコアとなる師は必要ですが。


師は先人だけではありません。時に友人だったり、後輩だったり、敵や思想の違う人だったりもします。根を張った思考をぶつけ合う事で己の持つ「コンテンツ」を磨くことになり、結果として自身の魅力が増していきます。これを意図して実行している人は、実行していない人と輝きが全く違うのは言うまでもないでしょう。


つまり、大事なのは学びのある人と交わる事なのです。


この輝きを増す唯一の方法を放棄している人は以外と多いものです。そしてこの磨きあい行為は、互いの言葉をぶつけ合う「一対一」の場が最も効果的だと考えるのですが、上っ面だけの交流をする人はこれを放棄する傾向があるように感じます。様々な気付きは複数の人がいた方がありますが、互いに深く語り合い、己のコンテンツを磨くには一対一には敵いません。これは私の思想、つまりコンテンツの「コア」にあるものでもあります。


そんな事も有り、私は一対一の会話をを放棄されると、私との付き合いは上っ面だけの交流なのでは無いかと考えてしまいます。自身のコンテンツ力を磨く場を放棄されるということは、私自身が持つコンテンツを認められてないと考えられるからです。そう考えると無理に付き合ってもらっても無駄な時間となり、相手に失礼なので交流は控えてしまいます。


人と繋がる事は大切な事です。しかし一対一で繋がれる相手こそが「人脈」という言葉で置き換えられる人たちだと考え増す。無駄に薄い繋がりを増やすより、このような人脈という言葉に置き換えられる濃い交流が出来る相手を作る事を優先させますし、また相手にもそうあって欲しいと考えています。私が交流をしたいと思った相手は、つまり私が大切にしたい人でもあるわけですから。


そんな思いを持って会社の元後輩に接したのですが、おそらく意図が伝わらなくてほぼ没交渉となってしまったのでtwitterで書き散らした下書きをブログのエントリとしてまとめてみました。その多人数で受けるセミナーが魅力的な話であっても、貴方の持つコンテンツと私のコンテンツをぶつけ合い、磨く場のほうが私にとってよほど魅力的で貴重なものだったのだ、と。伊達に「great person」にカテゴライズしたわけではないのです。非常に残念な事でした。


最期に、セミナーについて以下のツイッター発言を引用しておきます。

http://twitter.com/#!/tmaeno/status/139843816936046592

昔、日経主催のセミナーにビルゲイツとブランソンを招いた際、そのタイトルが「アントレプレナー養成講座」だと知って、2人が爆笑したという。「こんなところに来る人が成功するわけない」


そのセミナーに参加することで、貴方は何が得られるのかを考えていますか?


毎度の如くまとまらない文章ですが、ヘドロのように溜まっていたものを吐き出せたので今日はこんな感じとしておきます。