pc4beginnerの日記 はてなブログ版

はてなダイアリーで書いていたブログの移行です。

営業という行為

ツイッターからひとつまみ。


ブログでちょぼちょぼ記事を書いても雀の涙の収入にしかなりませんが(真面目にやってないだけだけど)、それ以下の労力でやってる副業では3日分のエントリぐらいの作業量でブログの一年分を稼ぎ出すわけです(自分比)。この差はつまり営業力というものです。営業が私に付加価値を付けてくれているのです。


営業を馬鹿にする人は、このように「営業」が介在して自身の価値が高まっていないか、一度振り返って見ることをお奨めします。もし自分の価値が期待通りに高まらず、かつ、より自分の価値を高めたいのなら、その営業の影響下から出るという選択肢が発生します(金儲けだけを考えるのなら)。つまりこれが転職という行為になります。もちろん組織の改革という手段もありますが、これは凄く時間がかかるのでここでは割愛します。


自分自身の価値を卑下することはありませんが、その価値はどうやって産み出されてきたのか。これを振り返れば「営業」は必ず介在していると思います(営業という行為には「企画」と「広告」も含まれる)。この考えを抜きにして営業を馬鹿にする方は、その方自身が自分の価値をどうやって生み出すのかを放棄していることをわざわざ申告していると思うのです。これはとても残念なことではないでしょうか。


もちろん、営業という行為は難しいものです。酷い営業行為はごまんとありますし、これらを避難するのは否定しません。自身の価値を毀損することもありますから、私もそのようなものについては営業担当者に抗議することがあります。


ただし、営業行為そのものを全否定するのは、自身の収入を得るための行為を否定するのと同義と考えています。世の中で収入を得るという行為は、突き詰めれば全て商売になります。商売をやって見ないと分からないことも多いと思いますが。しかし営業行為をけなす人は、せめて自分の価値を生み出している営業という行為ともっと向き合ったほうが良いとおもうのです。


社畜だろうが、ワーキングプアだろうが、たとえノマドやヒッキーだろうと、対価を得るという行為をしている限り営業行為からは逃れられないのです。


最期の文章についてはちょっと営業行為を拡大解釈しすぎたかもしれませんが、そんなに的外れな言葉でもないと思います。


まぁ、そんなわけで小口の仕事が舞い込んできて小躍りしながら、ふとこんな事を思い付いてみました(これは家族への私信です、すいません)。


今日はそんな感じで。