自分がかわいい、と色気を出した瞬間を相手は見逃さない。
タイトルは女性が自分の美を競うアレではなく、保身の意味での「自分はかわいい」の意です。
このところ人の(苦情や愚痴)話を聞くことが多いのですが、言い分はともかく話の中で違和感を感じる瞬間がよくあります。私は空気が読めない(そういうことにしてください)ので、相手の感情を無視してチクリとそれを指摘してしまうことがありますが、そうすると雄弁をふるっていた相手が黙ってしまいます。
その違和感の正体は「人の失敗は大きな声で言うけど、それに関連する自分の失敗は言わない、もしくは軽んじる」というものです。
特に仕事においてこれは言える事ですが、自身の業務に関連したところで誰かがミスをして不利益を被った時、自分が何かすることでこれを防げる可能性はほとんどの場合であるわけです。
これを自分の非と認め話をする人は、あまり相手を攻撃しません。あたりまえですけど。
しかしこれを非と認めなければ、自分が一方的に可哀想な存在になるわけですから、相手を攻撃するわけです。
しかし攻撃されている相手は、ほとんどの場合で相手の非に気が付いています。それを話の中で無視する、もしくは軽んじられた瞬間に言葉の現実味が薄れ、言葉を聞き入れにくくなってしまいます。
もし相手を非難する言葉を発していて、突然話を聞いてもらえなくなったと思ったら、その直前の言葉を反芻することでこの問題に気が付くことができます。そしてこの点についてきちんと言及することで、言葉に現実味が戻るため建設的に話ができるようになります。というか、非難ではなくなっていくわけですね。
自分は心の狭い人間なのでよく人を非難しますが、こんな事を心にとどめて話をするようにしています。きちんと自分の非を認め、その上で相手の非を確認することで相手とより実りのある会話ができると思うのですが如何でしょう。
ま、相手への敬意を持っていればできる事なんですけどね。
政治家の方々には、こういう事を心にとどめてほしいものです。ユーモアもなく、裏付けも薄く、相手への敬意が感じられない「空気」な言葉をマスコミ経由で聞いていると、可哀想にさえなってきますので。
そんな感じで。