知の集合体は、ウルトラCを見いだせるのか。
はてなダイアリーというシステムが、このエントリにどんな波紋を広げるのか、ちょっと興味があるのでエントリを起こします。
『審理』公開停止への疑問 (切通理作 中央線通信)
ちなみに私は最高裁の決定は、もし自分が決定する立場だと考えれば当然だと考えています。裁判員制度さえ論じられているのに、このような問題が立ち上がってしまったことには頭を痛めていることでしょう。
ただし映画という作品が抹殺される可能性がある、と考えるとid:PaPeRoの主張も痛いほどわかります。
もし、この映画のスポンサーが国でなければ抜け道もありそうな気がします。不謹慎ですが思わぬPR効果が出てしまい、話題性としては十分なので、上映にさえこぎ着ければそれなりの収入が見込めますので誰か手を挙げるかもしれません。
しかし、国がスポンサーである限りお蔵入りは避けられないと思うのです。映画は、語弊がありますがスポンサーのために作成されるものであり、それを回避するのならばエヴァンゲリオンのように独自に資金を集め、リスクを負って作成するしかありません。
今回の映画は、残念ながら国策映画(言い過ぎですかね)である以上、ネットでいくら叫ぼうともこの流れを覆すのは難しいと思います。もし映画を何らかの形で世に送り出すのであれば、ネットやマスコミ、そして政治的に利害関係のある方達が一斉に決断をした人達を叩くでしょうから。
これをクリアするウルトラCを、もしはてなダイヤリーというシステムが覆すのなら「残念」と呟いてしまった方も唸るに違いないでしょう。
なんて、ふと思ってしまいました。